Belle II: 素粒子標準模型を超える物理を探して

素粒子標準模型とは、素粒子の振る舞いを記述する基本理論のことで、現在知られている素粒子に関する実験事実をよく説明しています。しかし近年、標準模型では説明できない物理現象や未知の粒子の存在が、様々な実験や理論から示唆されています。Belle II 実験は超精密実験により以下のような謎に挑みます。

物質と反物質とは何か?
ビッグバンによって宇宙が誕生した頃、エネルギー以外は存在していませんでした。そこには原子や分子、惑星や恒星はなく、ただエネルギーだけが存在していたのです。初期の宇宙は冷却され、エネルギー私たちを作っているような電子や陽子、中性子という物質へと形を変えました。実際、私たちが見たり、相互に作用し合えたりするものは物質からできているのです。私たちの体や吸っている空気、食べている物、そしてあなたがこの文章を読んでいるコンピュータでさえ、全て物質からできているのです。    しかしこの話はこんなに簡単なものではないのです。なぜならば、物質には反物質と呼ばれる対となるものが存在するからです。全ての種類の物質粒子(例えば、電子あるいは陽子)に対して、反物質の対となる粒子(電子に対しては反電子、陽子に対しては反陽子、など)があります。物質と反物質は電荷の違いのみで、それ以外の性質はそれぞれ完全に同じように振る舞います。例えば、電子が負の電荷を持つのに対し、反電子は正の電荷を持ちます。  一般的に自然界は対称的であろうとします。つまり、ビッグバンが起こった時には、同じ量の物質と反物質が作られたと考えるのが自然のように思えます。問題は、物質と反物質はお互いに近くに存在することを好まないことです。物質や反物質が、他方と接触するとそれらはたちまち消滅しエネルギーへと変わります。そうすると、もしビッグバンが同じ量の物質と反物質を作ったとすると、それぞれの物質粒子は反物質粒子と衝突して消滅し、物質や反物質は残らず、この宇宙にはエネルギー以外は何も存在しなくなるでしょう。  明らかにこれは実際に起こったことではありません。私たちは物質でできた宇宙に住み、地球は物質からでき、私たち自身も物質でできているのですから。そこで、その理由として、ビッグバンが反物質よりも物質を多く作ったと考えなければなりません。全ての反物質粒子は物質粒子とともに消滅しましたが、反物質よりも物質の方が多かったので、反物質が全て消滅してしまった後にも物質は残っているでしょう。この残された物質が今日私たちの暮らす宇宙を形成したものなのです。  物理学者が答えを探している疑問の一つは、なぜ宇宙が始まったときに物質と反物質の不均衡があったのかということです。過去に素粒子物理学者によって行われた実験では、すでに自然界の小さな非対称性が見つかっています。それはチャージ・パリティの対称性の破れと呼ばれ、自然界では反物質より物質がわずかに優勢であることを示しています。しかし、私たちの宇宙がどのようにして現在のようになったかを説明するには、この不均衡では小さすぎます。そのためには、まだ観測されていないより大きな非対称性でなければならないのです。Belle IIや他の近代的な実験で素粒子の振る舞いを理解することで、私たちは自然界の非対称性の根源を探索でき、宇宙や私たち自身の原点の理解に向かって研究しているのです。
ヒッグス粒子は複数存在するのでしょうか?
ヒッグス粒子と呼ばれる粒子の存在が長い間期待され探索が続けられてきましたが、 2012年にLHC(世界最高の衝突エネルギーを持つ粒子加速器)で行われた実験におい て、ついにその信号が発見されました。 この発見により理論物理学者のピーター・ヒッグス氏、フランソワ・アングレール氏 が2013年にノーベル物理学賞を授賞し、標準理論という素粒子物理学の中核をなす理 論が完成したのです。 ヒッグス粒子はその相互作用によって電子などの他の素粒子に質量を与えるため、メ ディアでは”神の素粒子”と形容されることもあります。 標準理論の枠組みを超えて宇宙の様々な未解決問題を説明しようとする理論のほとん どが複数種類のヒッグス粒子が存在すると予測しています。 電荷を持たない標準理論のヒッグス粒子に加えて、同様に電気的に中性な別のヒッグ ス粒子や、電荷を帯びた荷電ヒッグス粒子が存在するかも知れないのです。 このような未知のヒッグス粒子を直接生成することで探索するLHCに対して、Belle I I実験ではB中間子がτレプトンとニュートリノに崩壊する過程を通して荷電ヒッグス 粒子を間接的に生成し、最高の感度で探索することができます。(τレプトンは電子 とμ粒子よりも質量の大きな同族粒子) このような崩壊過程は、SuperKEKB加速器で生成したB中間子対のうち一方のB中間子 をまず再構成し、もう一方の反B中間子の崩壊生成物を精査することで再構成されま す。 荷電ヒッグス粒子探索は他の実験と一線を画すBelle II実験の重要な強みなのです。
素粒子標準模型を超えた物理
標準模型は今日の素粒子物理学の基礎であり、既知の全素粒子の特性と3タイプの相互作 用、すなわち電磁相互作用、弱い相互作用、強い相互作用を説明します。 標準模型は物質の構成要素であるクォークとレプトンと、3つの相互作用の媒介粒子であ るボソンを含みます。 6種類のクォークと6種類のレプトンがあり、それらは全て実験で見つかっています。 クォークとレプトンは主に質量の違いによって3世代に分類されます。そして、各世代は2 つのクォークと2つのレプトンから成ります。 2012年、48年前に予言された質量の起源を説明するヒッグス粒子がCERNのLarge Hadron Collider(LHC)実験で見つかり、実験によって観測されたほとんど全ての現象を標準模型 で説明できる一方で、物理学者が標準模型に満足していないいくつかの理由がまだありま す。 例えば、標準模型には多くのパラメータがありますが、それは最初の原理から推論するこ とができず、実験的な測定から決定される必要があります。 質量の起源はヒッグス機構で説明されますが、先に述べたようにちょうど3世代である理 由を我々はまだ知りません。 これに加えて、標準模型は宇宙の本質的な謎を決して説明していません。例えば、 物質が支配し、反物質が見つからない理由。ダークマターは何か。ダークエネルギーは何か。 それゆえに、標準模型が究極的な理論でなく、むしろこれまでの実験で扱えるエネルギー スケールで適用される近似であると物理学者は思っています。 実際、標準模型を超えた新物理と関連した新粒子が(今後の実験で到達できる)テラ電子 ボルト(TeV)エネルギースケールで存在することを、多くの理論モデルは予測します。 新物理の証拠を見つけるための1つのアプローチは「エネルギー・フロンティア」実験で あり、そこでは超高エネルギー粒子加速器で直接新粒子を生成し、それらの崩壊過程を観 測します。 CERNのLHC加速器のATLAS実験とCMS実験は、図1aのアプローチに従います。 もう一つの有望で補完的なアプローチは、高精度の測定で標準模型の予測からの差異を見 つけようとする「ルミノシティフロンティア」実験に基づきます。 クォークやレプトンが世代間で「とぶ」とき、そのような差異は新粒子が存在すればあり え、中間の状態に現れます。 初期のB物理学実験(KEKのBelle、SLACのBaBar、CERNのLHCb)は、そのような逸脱の 徴候を見つけました。 Belle II実験では、そのような差異をはっきりと実証するために高い精度でB中間子やD中 間子(それぞれ、bまたはcクオークを含んでいる中間子)の崩壊を観測することを試みて います。Belle IIは標準模型によって禁じられているレプトンの電子またはミュー粒子への 崩壊を観察しようとしています。 そのような差異と禁止された相互作用の発見は標準模型を破り、新物理を調査するための 扉を開き、さらに高いエネルギースケールについて探索します。

新しい粒子を見つける2つの異なるアプローチ、 a) エネルギー・フロンティア・アプローチ b)ルミノシティフロンティア・アプローチ。
素粒子物理学のダークセクターは物質と同じ質量領域にあるのでしょうか?
ダークマターは1世紀近く前に考えられてから、現在でも興味深い内容です。ダークマターは我々の知っている物質に対して5倍の量が存在しており、宇宙の80%を占めていることが知られていますが、その詳細はまだ明らかにされていません。素 粒子物理学の標準模型は我々の知っている物質をある程度正しく記述していますが、 ダークマターを含めることはできていないため、標準模型を超える新物理を取り込 まなければなりません。その一つの候補がダークマターが冷たい暗黒物質であると いうことです。冷たい暗黒物質は宇宙線のエネルギー分布での物質・反物質の非対 称性を説明することができます。冷たい暗黒物質がダークマターでない場合には、 他に支持されている候補は一つしかありません。それはアクシオンとアクシオン様 粒子です。宇宙のダークマターが大変な量あることを考えると、標準模型のように 複雑な構造がある可能性があります。この仮説ではダークマターが力を伝搬でき、 ダークエネルギーがダークセクターでの重要な要素になります。そのような粒子と してはアクシオニックダークマターが有力な候補です。力の伝搬物質の一つはダー クフォトンです。名前から想像できるように、標準模型のフォトンと似た性質を持っ ており、混合することもできます。この混合によってダークマターが標準模型のフォ トンと入れ替わることができます。簡単に言えば、ダークフォトンは電子やミュー オンのようなレプトンと左図に示すのようなわかりやすい反応によって相互作用す る可能性があります。さらにダークフォトンは他の検出されないダークマターに崩 壊するかもしれず、右図に示すのように検出が難しいです。難しいにもかかわらず、Belle II 実験では1つのフォトンを検出するための特別なトリガーを用意しています。SuperKEKB加速器ではたくさんの崩壊を作るために高エネルギーの電子と陽電子を衝突させます。KEKB加速器の運用中では、フォトンが一つの事象はほとん ど興味のないバックグラウンドと想定されていました。しかし、ダークセクターが 存在する可能性があるため、それらの高エネルギーのレプトン対に対して新しい可 能性が生まれ、そのうちのいずれかが標準模型のフォトンではなくダークフォトン から崩壊した可能性があります。 ダークフォトンと共に、Belle実験とBelle II実験ではダークヒッグスボソンの探索をしています。標準模型ヒッグス粒子と性質が似ており、ダークフォトンや他のア クシオン様粒子に質量を与える可能性があります。ダークフォトンの場合には、ダー クヒッグス粒子はSuperKEKB加速器の衝突で非常に大量に検出される標準模型レ プトン対に崩壊する可能性がある。ダークフォトンの探索を行うときは、ダークフォ トンの質量と標準模型フォトンの混合度合いの二つを考えなければなりません。この混合度合いは標準模型のフォトンではなく、ダークフォトンがレプトン対の親粒 子になる可能性を示します。現在、これらの値の大部分は下図に示すように禁止さ れています。ダークフォトンを探索する試みはいろいろなところで行われています が、世界で最もルミノシティーが高い電子陽電子衝突型加速器SuperKEKBほど有 望な実験はありません。1999年から2010年で、前身のKEKB加速器では1ab-1近く のデータが収集され、多くの研究者がその解析を行いました。 現在、SuperKEKB加速器とBelle II検出器の改良により、Belle実験に比べて50倍も のデータを取得するために、日々努力をしています。増加したデータを用いること で以前には到達できなかった領域を探索することができます。Belle II実験でのダー クフォトン探索の予測はすでに行われており、下図で見られるように世界の他のダー クフォトン探索よりも高い能力があります。これは電子陽電子衝突の”きれい”な信 号が供給されることと、それらの衝突がよく知られていることがの大きな要因です。

この宇宙の目に見える物質の質量の起源となっている「強い力」はどのような性質を持っているでしょうか?

【はじめに】

この宇宙には、光学的な観測によってその存在が直接確認されている恒星等の通常の物質と、宇宙背景放射の詳細な観測結果等からその存在が予想されているダークマター(暗黒物質)及びダークエナジー(暗黒エネルギー)が存在していると考えられています。ダークマター及びダークエナジーについては、現在、盛んに研究が行われていますが、今の所、まだ、その正体はよくわかっていません。ここでは、通常の物質の質量の起源となっている「強い力」の性質を解説します。通常の物質の質量のおよそ99%は「強い力」によってもたらされ、残りのおよそ1%はヒッグス粒子によってもたらされていると考えられています。

 

【通常の物質=原子】

宇宙に存在する通常の物質は、地球上に存在する物質と同じものであると考えられ、原子から構成されています。原子は、プラスの電荷を持った原子核が中心付近の10-15[m]から10-14[m]くらいの範囲に分布しており、また、原子核を取り囲んで電子がおよそ10-10 [m]くらいの範囲に分布した構造をしています。ただし、恒星内部では、高温のため、原子は、原子核と電子がそれぞれ独立に運動しているプラズマ状態になっています。そこでは、核融合反応が起こり、エネルギーを生み出しています。

 

【原子核】

原子核は、プラスの電荷を持った陽子と電荷を持たない中性子から構成されています。原子核中の陽子の数を原子番号といい、例えば、水素は1、ヘリウムは2、炭素は6、酸素は8等となっています。(ちなみに、日本で発見された新元素ニホニウムの原子番号は113です。)原子核中の陽子数と中性子数を合わせたものを質量数といい、例えば、水素は1、重水素は2、三重水素は3等となっています。元素記号では、水素 、重水素 、三重水素 等と表されます。

 

【電子と陽子の電荷】

電子の電荷は-eで表され、その値は約-1.602×10-19 [C(クーロン)]です。陽子の電荷は+eで、電子の電荷と同じ大きさで逆符号のプラスの電荷を持っています。原子では、陽子の電荷と電子の電荷が打ち消し合って、全体では中性になっています。

 

 

【電子、陽子、中性子の質量】

電子の質量は約0.511[MeV/c2]陽子の質量は約938.3 [MeV/c2]中性子の質量は約939.6 [MeV/c2]です。ここで、質量はアインシュタインが提唱した特殊相対性理論の有名な関係式E = mc2を用いて、エネルギーの単位であるMeVを真空中の光速c2乗で割ったもので表しています。1[MeV] = 106 [eV]で、1[eV](電子ボルト)は電子1つが1[V(ボルト)]の電位差を移動したときに獲得するエネルギーのことで、1 [eV] = 1.6021766208×10-19 [J(ジュール)]です。陽子と中性子の質量はほとんど等しく、その性質も似通っているので、兄弟のような粒子と考えられています。また、陽子と中性子をまとめて、核子とよびます。一方、電子と陽子の質量を比べてみると、陽子の質量は電子の質量のおよそ1836倍です。そのため、この宇宙の通常の物質の質量はほとんど陽子と中性子が担っています。

 

【強い力・強い相互作用】

ここで、ヘリウム4の原子核を見てみましょう。の原子核は陽子2個と中性子2個が強く結合したものです。放射線では、α粒子とよばれています。の原子核の核子1つあたりの結合エネルギーはおよそ7 [MeV] = 700[eV]です。水素分子の結合エネルギーがおよそ5[eV]ですので、分子間の結合より約100万倍強く結合していることがわかると思います。ヘリウム原子核中の陽子同士はプラスの電荷を持っているので、電磁気力では、互いに強く反発し合うのですが、それよりも強い力によって束縛していることがわかります。この核子間に働く強い引力の起源となる力のことを「強い力」または、「強い相互作用」とよんでいます。

 

【核力】

「強い力」のうち、核子間に働く力のことを特に「核力」とよびます。湯川秀樹氏は、核力の長距離引力の起源がπ中間子交換によるものであると予言し、のちに実験でπ中間子が発見されて、その業績により、1949年にノーベル物理学賞を受賞しました。

 

【弱い力・弱い相互作用】

陽子と中性子は良く似た性質の粒子であると説明しましたが、電荷の他にも違いが1つあります。単体の陽子の寿命はとても長く、スーパーカミオカンデ実験では1033年よりも長いと見積もられています。現在の宇宙の年齢が1010年程度なので、それよりも圧倒的に長いです。一方、原子核に束縛されていない単体の中性子の平均寿命は880.2±1.0秒です。約15分で陽子と電子と反電子ニュートリノに崩壊します。この崩壊のことをβ崩壊といい、β崩壊で放出される電子のことをβ線とよびます。このβ崩壊を引き起こす力のことを「弱い力」または「弱い相互作用」とよんでいます。ただし、安定な原子に束縛されている中性子の寿命は陽子と同程度です。

 

【自然界に存在する4つの相互作用】

現代の物理学では、自然界には4つの相互作用があると考えられています。「重力相互作用」、「電磁相互作用」、「弱い相互作用」、「強い相互作用」の4つです。このうち、重力を除く3つの相互作用は、相対論的場の量子論という理論の枠組みで記述されています。重力相互作用を記述する量子論はまだ確立されていません。ミクロな系の現象は量子力学を用いて記述されますが、粒子と反粒子の対消滅や対生成と行った現象を記述するためには、質量とエネルギーの関係を示す特殊相対性理論も理論の枠組みに加える必要があります。粒子が自由に生成できるとなると、粒子数に対応して、系を記述するのに必要な自由度がどんどん必要になり、結局は無限自由度が必要になります。無限自由度系を記述できるようにした量子論の枠組みを「場の量子論」といいます。

 

【量子電磁力学(QED)

「電磁相互作用」を記述するゲージ場の量子論は「量子電磁力学(QED: Quantum ElectroDynamics)」です。ゲージ場の量子論では、理論に局所ゲージ対称性を要求すると、それを満たすためにゲージ場が必要となり、そのゲージ場が相互作用を媒介することになるというものです。QEDの場合、ゲージ粒子は光子です。ゲージ粒子の質量は0となるのですが、光子の質量も0です。質量0の粒子が媒介する力の大きさは力を作用し合う粒子間の距離の2乗に反比例することになりますが、電荷を持った粒子間に働く力であるクーロン力は確かに距離の2乗に反比例します。(注1)

 

【電弱統一理論】

「弱い相互作用」は「電磁相互作用」と統一して理解されました。ゲージ場の量子論では、ゲージ粒子の質量は通常は0となるため、弱い相互作用が非常に近距離で作用するという実験事実を説明するため、ヒッグス粒子を導入し、ゲージ対称性の自発的な破れによって、弱い相互作用を媒介するゲージ粒子のW+W-Z0に大きな質量を持たせました。この理論は「ワインバーグ・サラム理論」または、「電弱統一理論」とよばれています。(2)

 

【クォーク模型】

「強い相互作用」は核子間に働く核力の起源であると、少し持って回った言い方をしたのは、「強い相互作用」を記述するゲージ場の量子論が、直接、核子に作用するように記述されていないからです。50年代、60年代の粒子加速器実験において、陽子、中性子やπ中間子の仲間の粒子が次々と発見されました。多くの粒子が発見されたので、それらの粒子は素粒子ではなく、内部構造を持つ複合粒子ではないかと考えられるようになりました。実験で見つかった多くの粒子は、スピンが半整数の重粒子(バリオン)とスピンが整数の中間子(メソン)に大きくは分類されます。1964年にマレー・ゲルマンがクォークというスピン1/2の基本粒子を導入し、重粒子はクォーク3個の束縛状態、中間子はクォーク1個とその反粒子の反クォーク1個の束縛状態と考えるクォーク模型を提唱し、それが、実験結果をよく説明しました。さらに、Ωバリオンという新しい粒子の存在を予言して、その後、Ωバリオンは見事に実験で発見されました。(3)

 

【量子色力学(QCD)とカラーの閉じ込め】

クォーク間に働く相互作用が「強い相互作用」です。ゲージ場の量子論の枠組みでは、カラーというゲージ対称性が導入され、このゲージ理論は「量子色力学(QCD: Quantum ChromoDynamics)」とよばれています。(カラーという名前が付けられていますが、もちろん、電磁波である光の色とは、全くの別物です。)このゲージ粒子はクォーク同士を強く結びつけている粒子としてグルーオン(glueは接着剤の意味)と名付けられました。クォーク、グルーオンが持つ最も興味深く、かつ、現在も完全には理解されていない性質にカラーの閉じ込めというものがあります。それは、クォークが持つカラー電荷は赤、緑、青の3種類あり、カラーを持った状態は単体では存在できないというものです。光の3原色のように、赤、緑、青を持ったクォークが1個ずつ3個集まってカラー1重項状態として、初めて存在できます。これが重粒子の状態です。また、粒子と反粒子は逆の色を持つので、その組み合わせでもカラー1重項状態となります。(逆の色という概念は光の色にはありませんが。)これが中間子です。実験的にも、単体のクォーク、単体のグルーオンは見つかっていません。このような性質からクォークの持つゲージ対称性はカラーと名付けられました。強い相互作用をする粒子のことをハドロンとよんでいます。陽子も中性子もπ中間子も皆ハドロンです。

 

【漸近的自由性】

QCDの持つもう一つの面白い性質が、漸近的自由性です。クォーク、グルーオンが高エネルギーになるに従って、QCDの相互作用の結合定数が小さくなっていくという性質です。結合定数が小さくなると、摂動展開という計算手法で、物理量を精度よく計算できるようになります。その結果、QCDの予測と高エネルギー実験の結果を較べることが可能となりました。実験結果と比較したところ、良い精度で一致したことにより、QCDがクォーク間の相互作用を記述する「強い相互作用」の理論として、確立しました。(4)

 

 

【陽子・中性子のクォーク構造】

クォークには、電荷が のアップ(u)、チャーム(c)、トップクォーク(t)と、電荷がのダウン(d)、ストレンジ(s)、ボトム(b)の、合計6種類あります。陽子のクォーク構造を考えると、uudとなっており、中性子のクォーク構造はuddとなっていると考えられます。クォークはカラーの閉じ込めにより、単体では存在できません。そのため、クォークの質量を直接測ることはできません。そこで、漸近的自由性により摂動展開が使える高エネルギー(具体的には2[GeV])で、クォーク質量は間接的に決めます。この質量をカレントクォーク質量とよびます。決定されたアップクォークの質量は2.2[MeV]、ダウンクォークの質量は4.7[MeV]です。クォークの質量の和を陽子と中性子に対して行うと、それぞれ、9.1 [MeV]11.6[MeV]となり、実際の陽子の質量938[MeV]及び中性子の質量940[MeV]の約100分の1しかありません。カレントクォーク質量はヒッグス機構により、クォークとヒッグス粒子との結合から生成されると考えられています。観測される宇宙の物質の質量はそのほとんどを陽子と中性子の質量が担っていますが、そのうち、ヒッグス粒子によってもたらされる質量は、およそ1%ということができます。

 

【カイラル対称性の自発的破れ】

では、実際の陽子と中性子の質量は何によってもたらされたかというと、それは、低エネルギー領域では、クォークとグルーオン間及び、グルーオン間の結合定数が大きくなり、自己相互作用により質量が生成されたと考えられています。質量0のクォークはカイラル対称性という対称性を持っているのですが、質量を持つとカイラル対称性が破れます。そのため、この現象をカイラル対称性の自発的破れとよびます。カイラル対称性が自発的に破れると、それに伴って質量0の南部・ゴールドストンボソンが現れます。π中間子は他のハドロンより質量が小さいのですが、それは、カイラル対称性の自発的破れに伴って現れる南部・ゴールドストンボソンであるからであると考えられています。π中間子の質量が0でないのは、カイラル対称性の自発的破れに伴う質量生成の他に、ヒッグス機構により、もともとクォークが小さな質量を持っていたことによることで説明されます。

 

【エキゾチックハドロン】

QCDの低エネルギーにおける非摂動論的性質により、カラーの閉じ込めの機構やカイラル対称性の自発的破れの機構の詳細は分かっていません。それらを調べるためには、ハドロンの多彩な性質を幅広く研究する必要があります。また、最近になって、クォーク3体系である重粒子とクォーク・反クォークの2体系である中間子以外の構造を持つハドロンが発見されつつあります。このようなハドロンをエキゾチックハドロンとよんでいます。新たなハドロンの存在形態は、重粒子や中間子には含まれないタイプの相互作用が含まれている可能性もあり、QCDの性質の新たな理解につながると予想されます。

 

【終わりに】

Belle II実験では、その高統計により、電子・陽電子の衝突において、非常に稀にしか生成されないエキゾチックハドロンを発見できる可能性があり、また、現在までに発見されたエキゾチックハドロンの性質をさらに詳しく調べることが可能になりますので、それにより、QCDの理解がより深まることが期待されます。

 

QCDは現在知られている非摂動論的性質を持つ唯一のゲージ場の量子論ですので、QCDの非摂動論的性質の理解は、現在盛んに研究が行われている電弱相互作用と強い相互作用を統一する超対称性理論の理解の助けになることも期待されます。

 

(1)  QEDに関する業績で、リチャード・P・ファインマン、ジュリアン・シュウィンガー、朝永振一郎氏は1965年にノーベル物理学賞を受賞しています。

 

(2)  シェルドン・グラショー、アブドゥス・サラム、スティーヴン・ワインバーグは「電弱統一理論」に関する業績で、1979年にノーベル物理学賞を受賞しています。また、カルロ・ルビアとシモン・ファンデルメールはW粒子とZ粒子の発見の業績で1984年にノーベル物理学賞を受賞しています。さらに、2013年には、フランソワ・アングレールとピーター・ヒッグスがヒッグス機構の業績により、ノーベル物理学賞を受賞しています。

 

(3)  クォーク模型に関する業績で、マレー・ゲルマンは1969年にノーベル物理学賞を受賞しています。

 

(4)陽子・中性子のクォーク構造の実験的研究の業績で、ジェローム・アイザック・フリードマン、ヘンリー・ケンドール、リチャード・エドワード・テイラーは1990年にノーベル物理学賞を受賞しています。また、強い相互作用における漸近的自由性の理論的な発見の業績で、デイビッド・グロス、ヒュー・デビッド・ポリツァー、フランク・ウィルチェックは2004年に、ノーベル物理学賞を受賞しています。

 

(5) 強い相互作用におけるカイラル対称性の自発的破れの機構の発見の業績で、南部陽一郎氏は2008年に、ノーベル物理学賞を受賞しています。